ミステリ小説の主人公になったと思ったらその本が賞をたくさんとっちゃったり
#米澤穂信 さんの『#黒牢城』が第166回 #直木賞 の候補に選ばれました。他の候補作と合わせ、年末年始に皆さまに手にとっていただく機会となれば幸いです。作品内容が気になる方は、#ゆうきまさみ 先生の「米澤穂信『黒牢城』読んでみた」☟を是非! https://t.co/ct9aF3YuOc pic.twitter.com/C4a7oQEr28
— KADOKAWA文芸編集部 (@kadokawashoseki) December 17, 2021
銀幕デビューが決まった映画がカンヌで絶賛されちゃったり
#北野武 最新作 映画『#首』#カンヌ国際映画祭
— 映画『首』公式【11月23日(木・祝)公開】 (@kubi_movie) May 23, 2023
【カンヌ・プレミア】 正式出品作品
◢◤11/23(木・祝)公開決定◢◤
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しかも2作とも、それぞれその道で名作をバンバン発表している巨匠の手ときたもんだ。
なんで?
その名は荒木村重
荒木村重(1535〜1586)
摂津の池田氏に仕えたのち、織田信長に取り立てられ織田家の家臣に。摂津一国を任されるまで出世するが1578年に突然謀反。
信長のパワハラに耐えられなくなった、家臣が敵方に内通していることを隠しきれなくなったなど理由は諸説ある。
一年ほど籠城して戦うが、有力な味方の寝返りなどもあり戦況は次第に悪化。援軍を頼みに行くため数人の部下とともに城を出たものの、その間に城は攻め落とされてしまう。
残された家族や家臣たちは見せしめとしてほぼ全員が処刑された。
かなり壮絶な出来事だが「信長に反旗を翻した武将」といえば、信長がめちゃくちゃ欲しがっていた平蜘蛛の茶釜と共に自爆した松永久秀や皆大好き本能寺の変を起こした明智光秀などインパクトの強いカードが揃っているため、特に信長や秀吉が主役の大河ドラマなどでは深く描かれる機会に恵まれない武将だった*1。
しかし、この先こそが荒木村重の真髄と言っても過言ではない。
村重の謀反から4年後に本能寺が燃え、山崎の戦いで明智光秀を討った羽柴(のちの豊臣)秀吉が天下人と呼ばれるようになった1583年、村重はもう一度歴史の表舞台に姿を現す。
武将としてではなく、茶人としてである。
信長に謀反してまだ生きてるけど何か質問ある?
と、村重が言ったかどうかはわからない。少なくともそういう史実はない。だが茶人になった村重に求められたのはそういう役割だったのではないか。
茶人になった村重は御伽衆として秀吉に仕えた。御伽衆というのは、偉い人の雑談相手をしたり、自分の得意分野や経験談を講釈したりする人たちのことだ。「信長に謀反して生き延びた経験」はかなりすべらない話題の部類に入るだろうが、村重にはもう一つ持ちネタがあった。
村重は茶道にも明るかったのだ。
茶道といえば、デキる戦国武将はみんなやってる当時最先端のカルチャー。
肖像画の太い眉や豊かなあご髭などのパーツから武張った印象が強いが、信長に仕えていたころから有名な茶人たちと席を共にするような、カルチャーおじさんとしての一面もあったのである。それも「ちょっと趣味で」みたいなレベルではない。千利休に弟子入りした上に、七哲*2に名を連ねている。
そんなこんなで、茶人になった村重は文化人として52歳で激動の生涯を閉じた。
戦に負けた戦国武将は首を切られるか腹を切るか、命があっても出家して静かに暮らすくらいしか選択肢がないと思いがちだが、こういう人もいたのだ。
時代が村重に追いついた
「こういう人もいる」が罷り通らない時代が長く続いた。
敗軍の将なら城を枕に討死するか、家臣のために腹を切るのが当然。そんな価値観の中で(結果的にとはいえ)守るべき家臣や家族を見捨てて逃げ出した村重は「卑怯者」とみなされた。
だが、今は違う(ギュッ)
ビジネスマンはやたら戦国武将に例えられたがる。村重に例えられるビジネスマンがいるとしたら上司のパワハラで引き続きもろくにしないまま連絡もとれなくなったが、数年後に趣味の分野で大バズりみたいな人ではないか。
結構いそう。
かく言う私もメンタルで休職を余儀なくされた時はかなり動揺し不安もあったが、まあ荒木村重みたいな人もいるからなんとかなるか…と思うことで気持ちがそうとう楽になった。おかげで今は復職してぼちぼちやっている。
一方の村重本人もこんな形で生き残ったことには引け目を感じていたらしく、出家し「道薫」と名乗る前は自虐を込めて「道糞(道端の糞)」と名乗っていたとも言われている。上司のパワハラから逃げるように辞めていったビジネスマンが、自虐めいた名前で運用している趣味のアカウントに万単位のフォロワーがいる、やっぱり結構ありそうな話だ。
村重も令和の世に生きていたら文化人として趣味の世界で活躍しつつ、そこそこ有名なインターネット論客になっていたかもしれない。急に親しみが湧いてきたのではないだろうか。*3
いろいろな事情で職場に馴染めず、脱サラを余儀なくされる社会人は珍しくなくなった。そういう人たちの声が聞こえる時代になって、我々はやっと荒木村重を語る言葉を手に入れたのかもしれない。だからこそ、彼は今ビッグウェーブに乗っているのではないだろうか。
これからもっと多くの人が荒木村重を知るだろう。私は村重の子孫でも地元の人でもない一介のファンだが、先述のとおり何度か人生のピンチに寄り添ってもらってこれを書いている今も愛着は深まり「好き」の限界値を更新中だ。
私の好きなものを知っている人が世界に増えるのは嬉しい。その人たちにとっても、その出会いがハッピーなものになったらいいなーと思う。
*1:一方、2014年大河「軍師官兵衛」では主人公・官兵衛の頼れる兄貴分として太陽の如き笑顔を振り撒いていた村重が信長の苛烈なやり方についていけず、どんどん曇っていく様がそれはそれは丁寧に描かれたのだが、官兵衛と村重の関係性の話は長くなるから別の機会にする。
*2:弟子ベスト7人みたいなもの
*3:余談だが、NHK制作の「信長のスマホ」"その12"と"その16"には村重とおぼしき道糞(@michi-kuso)というアカウントが信長のツイートにリプライを飛ばすシーンがある。アイコンはいらすとやの「うんち・便のキャラクター」だ。まだ謀反していない時期の話なので、この作品の村重は出家したあとにリアルでもアカウント名を名乗り始めたと思うと、いっそうインターネットの人格のリアリティが増し想像を掻き立てられる。大好き。考えてくれたスタッフの方に心から感謝をお伝えしたい。