丼トニック

二次創作同人誌のオタクが同人誌以外の話をします

二次創作同人誌のオタクが同人誌以外のオタクごとの話をする

行く太郎、来るタロウ

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いい千秋楽だった…

 

二ヶ月間続いたドンブラFLTがついに大千秋楽を迎えた。まさか現地での応援が叶うとは思わなかったが、これも縁。私もやり切った達成感で、今は胸がいっぱいだ。

ちょうど去年の今ごろ「ドンブラに対して何かしたい」という気持ちにせき立てられてミニプラを組んだり、クレーンゲームに挑戦したり、スーパー戦隊レストランに通い始めたりしたのだった。

思い返すと「何かしたい」は「好きでいることでハッピーな思い出がほしい」と言い換えられるかもしれない。

私はドンブラザーズというヒーローに救われたい、切実な理由があった。

今回は一人のオタクの自分語りだ。まあ聞いてやろうという方はお付き合いいただきたい。

 

桃太郎伝説

「新桃太郎伝説」はスーパーファミコン用ソフトとして1993年に発売された和モノRPGだ。主人公の桃太郎たちは、日本全国を電車で走り渡って資産を増やす国民的すごろくゲーム「桃太郎電鉄」のキャラクターとしての顔の方が有名かもしれない。

主人公の桃太郎がイヌサルキジのお供はもちろん、金太郎や浦島太郎、鬼の娘・夜叉姫とともに鬼ヶ島に住む鬼の王に立ち向かう。一見ほのぼのとした世界観だが鬼側の人間関係がけっこうドロドロしており、幼い私はこの重めのストーリーにグイグイ引き込まれどハマりした。

ドラクエ四コマ漫画劇場*1が出ているのに新桃のはなかったので、自分で四コマ漫画を描きまくった。初めて二次創作らしいことをした作品でもあった。

 

ここまで人生に刻まれただならぬ愛着を抱いている作品ながら、私がこの作品を話題にすることはほとんどない。好きでいることで苦しい思いをしたの記憶の方が多いからだ。

なんというか、不遇なのだ。

まず制作会社のハドソンが2005年にコナミの子会社になり実質解体された。そのせいかどうかはわからないが「新桃太郎伝説*2」は今日までスーパーファミコン以外のハードへの移植が果たされていない。

また、桃太郎伝説シリーズは「新桃太郎伝説」が発売される3〜4年前に2度アニメ化されている。

配信サービス華やかなりし令和と違って、平成中期は数年前のアニメを見る方法は限られていた。それでもお年玉でビデオを買ったり、ケーブルテレビに加入していた家族の知人に無理を言って録画してもらって飛ばし飛ばしで視聴した。2作品とも2010年ごろ一度DVDBOX化の話が出て予約もしたが、販売元が倒産して実現されなかった。権利関係がアレなのかなんなのかわからないが、配信も5年くらい前にGYAOで一瞬配信されたくらいでどこのサービスでも観ることができない。

 

ドンブラ風に言えば縁がなかったのかもしれない。

 

それでも私は、制作に関わっている方のところに学校の課題にかこつけて取材に行ったりして無理やりその縁にしがみつこうとした。

実際に話を聞かせてもらって、うれしいこともがっかりすることもあったが、何より当時の私のようなキッズに対して真摯に対応して頂けたことへの感謝は一日たりとも忘れたことはない。

同人誌にするほどでもない二次創作をずっと書き綴ったノートをたまに読んでくれていた友達にもめちゃくちゃ感謝している。

 

それはそれとして、一オタクとしての自分と桃伝というジャンルの関係はあまり恵まれたものではないという思いはずっと消えなかった。

インターネット上にファンコミュニティがないわけではなかったが、なんとなく馴染めなかった。

今みんなが好きなものを、みんなと同じように好きになりたかった。

 

以来、桃太郎モチーフの作品にはどうしても斜に構えてしまうようになり、某電話会社のCMも見るたびに複雑な気持ちになっていた。

 

今思えばこれらの不遇は自分の見識の狭さとこだわりの強さが主な原因なのだが、当時の自分にとっては切実な問題だったし、多少俯瞰して自分を見られるようになってからも蟠りは消えなかった。

 

そんな私の心に土足で…もとい神輿で踏み込んできたのが暴太郎戦隊ドンブラザーズという作品だったのだ。

 

「暴」

何もかもが異様だった。

神輿の上にバイクが乗ってるし、担ぎ手と天女がいるし、何よりバイクに跨って高笑いしているヒーローと思しき人物には話が通じそうにない。

桃太郎というキーワードに引っ張られて過去の苦い思い出に浸っている暇はなかった。そもそも、桃太郎のイメージを相当ぶっ壊している。

何より、景気が良かった。

 

ヒーローというより悪の組織のクセの強い怪人みたいなこの人物になら、私の苦い思い出を払拭してもらえるかもしれない。

それが叶った時、私はこの人を心からヒーローと呼べるようになるのではないか。

できるならそうなってほしい。祈りにも似た気持ちを抱きながら、私は自分にできることを模索し始めた。

 

好きの思い出を作るなら二次創作が一番やりやすいのはわかっていたし、いつでもとりかかる準備はしていたつもりだが、そうはならなかった。

代わりにGロッソとスーパー戦隊レストランに通い、ミニプラを組み、クレーンゲームにも挑戦した。

おかげでこの一年、私は見たことのない景色をたくさん見ることができた。今までの自分と比べて多方面に手を出しすぎている様はまさしく「暴」と呼ぶに相応しい。

 

二次創作をする側にならなかったことでこだわりに囚われることなく、毎週与えられる情報に「みんなと一緒に」ただ混乱した。

そういう状態にあったからこそ、エンディングテーマの「Don't BOO! ドンブラザーズ」の一節「違いは間違いじゃない」という歌詞にも心底共感できた。

今まで憧れていた「みんなと同じものを同じように好きになる」状態になった上で、これまでの「自分とごく限られた人たちだけがその良さを知っているものを好き」な状態までも肯定されてしまったのだ。

なんというカタルシス

もちろんFLT千秋楽の生歌ではめちゃくちゃ泣いた。

 

ドンブラザーズ・ノーリターン

どんな陶酔にも、必ず終わりは来る。

ドンブラザーズの最終回が近づくにつれて、桃伝への蟠りにもケジメをつけたい気持ちが高まってきた。苦い思い出はとうに上書きされ、もう大丈夫という感覚があったからこそ何かの行動や形で残しておきたい。そういう気持ちから描いたのが冒頭のイラストだ。

桃伝のキャラデザの土居さんの絵柄でドンブラザーズを描いてみた。このキャラならデフォルメはこう…と想像しながら資料を見返して芋づる先にいろいろなことを思い出す、写経や写仏に近い作業だった。

 

もうドンブラザーズに毎週ニチアサで会うことはない。

ゲームの桃太郎たちも令和になってからキャラデザが一新されて、土居さんの絵柄で新作が出ることはないだろう。桃伝もアニメ・ゲームとも新展開がある可能性は極めて低い。

だとしても、共にあった時間はいいことも悪いことも人生と魂に刻まれている。どちらにも感謝とリスペクトをこめてさよならを言いたい。

 

2022年はドンブラザーズとは関わりのないところでももう一つ、私くらいしか良さを知らないものを好きでいることを肯定される出来事があった。

これからは、自分の好きなものを誰かに肯定してもらえなくても変に卑屈になったり僻んだりしなくてすむ気がする。まあ、仮にそういうことになっても最終的にはなんとかなるだろう。

そんな年に、私のそばにいてくれたヒーローがドンブラザーズで本当によかった。

 

余談

実は冒頭のイラストを描くのと同時進行でもう一つ自分のケジメのために描いていたイラストがある。

桃伝シリーズの中でも特にお気に入りの二人のアクスタを作るためのものだ。こういうチャラついた推し方をずーっとしたかったので、やっとできてスッキリした。ドンブラ最終回というきっかけがなければいつかやりたいリストの優先順位の低いところに入れっぱなしだったことだろう。

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家に宅配便で届いたのがちょうどドンブラ最終回の日だったで、本編のラストシーンを思い出してはなかなかの箔がついたと自己満足に浸っている。

もうこれからは、乗りたくなったら神輿だって自分で作れる気がする。

 

改めて、私の人生に最高の縁をくれた暴太郎戦隊ドンブラザーズに、桃太郎伝説シリーズに、お礼を言いたい。

本当に、ありがとうございました!!!!!!!!!!!!

 

*1:公式の二次創作四コマアンソロ

*2:桃太郎伝説」としてはプレイステーションなどへのリファインがあったが、こちらはほのぼのとした世界観に終始し私にとってのウマミ成分であった鬼族の人間関係に関する描写はいっさいない