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あなたにお侍のいちばん大切なものをあげるわ〜映画首感想〜

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いやあ、映画「首」めちゃくちゃ面白かったですね。

 

2023年の10月30日に東京国際映画祭のガラセレクション先行上映でスタッフロールが終わってから、心の中ではスクリーンに向かってずーっと拍手してる気がする。

一画面あたりの情報量に圧倒されて、最初の一ヶ月は感想どころかアッとかヒッみたいな音しか出なかった。100均の店頭からクリスマス飾りが姿を消した頃にやっと好きとか最高とかざっくりした言葉が出るようになって、2024年の年号にも慣れた今やっと感想らしい感想が書けそうな心持ちになってきた。

人の言葉を借りようと思えばインターネットにいい感じのがゴロゴロあるんだろうけど、今回に限っては絶対やるべきでないと思ったので自分の中から言葉が出てくるのを待っていたら公開から2ヶ月経っていた。都内のシネコンはこれを書いている2月1日が終映日だ。

 

緑がきれいな映画だと思った。

冒頭の死体が浮かぶ川面に映る木々に始まり、荒木一族が首を斬られる処刑場、茂助の村や甲賀の里に続く道、大返し、敗走する明智軍が逃げ込む森。とにかく緑が鮮やかで美しかった。

それらと横並びでけっこう残酷な絵面を伴う人の死や、暴力や、侍の矜持と痴情のもつれや、空中チャンバラがあった。

宣伝であれだけ大きく打ち出していた本能寺の変さえ横並びだった。全部、泰然と「ある」ものとして同列ということなんだと思う。

散りばめられたギャグや掛け合いのテンポの良さもあって、四コマ漫画の連作長編を読んでいるような印象を受けた。

ラストの侍の矜持っていうかホモソーシャルの煮凝りみたいな光秀の首を秀吉が足蹴にするシーンの潔さと容赦のなさも四コマのオチみたいだったな。

ここまで淡々と描かれてきた全てのものの中で「いやこれだけは、あるかなしかで言えばないわー」ということなんだろう。


なんちゅうかわええ男だおみゃ〜ゎ♡

「首」の荒木村重は本当にかわいかった。信長もそう言ってる。


20年間好きだった荒木村重がメインキャラクターをはる物語として「首」を尋常じゃない温度で楽しみにしていた私だが、ここまでかわいいとは思わなかった。ていうかかわいい荒木村重になるとは一ミリも思ってなかった。原作*1も読んだのに。

 

ぶっちゃけ、これをかわいいと言ってしまって本当にいいのかを考えすぎてなかなか言葉にできなかったまである。信長も言ってるんだから、さっさと言えばよかったのかもしれない。でも信長には信長の道理があって、私には私の道理があるからな。


信長は精一杯目尻を下げてテンション高めにアピールし、口に饅頭の刺さった刀を突っ込まれてグリグリされようが目を逸らすことなく自分を見つめてくれる村重しか知らないかもしれないが、そんなかわいい村重が光秀の前ではたまにバチバチに侍ぶってヒモみたいな立場だろうが上から目線でずけずけと物を言うことを、私は知っている。

ちゃんと相手の好み*2に合わせて振る舞いを使い分けているのだ。かわいい。

新左衛門に捕らえられたときのウッカリを見る限りもともと隙の多いタイプの人物だと思われるが、そういう部分が人にかわいいと思われることを知っていて利用している。何を隠そう公式のキャラクター診断で村重に至る最後の選択肢は「フェロモン強めの自覚はある」だ*3。そういう太々しさまでひっくるめて、かわいい。

亀山城に匿われてからの方がイキイキしているところ、かわいい。明らかに侍よりヒモに向いている。一見ぶっ飛んだこのキャラクター性も、後年秀吉の御伽衆として趣味の世界で身を立てたという史実のデフォルメと解釈すると納得してしまう。史実を忠実に再現しなきゃいけない作品ではないから、(史実ではないことが観客に伝わってれば)別にかけ離れてても面白ければ全然いいんだけど。

はー、どことっても最悪でかわいい。並の人間が御せるかわいさではない。

まあ関わったのが並ではない人間たちだったから、あんなこと📦になっちゃったんですけど。

傾国のかわいさが間に挟まってなお、映画「首」は「信長と光秀の物語」だったと思う。

 

痴情のもつれで燃える寺

2023年は本能寺炎上の当たり年だった。

レジェンドアンドバタフライ(1月公開)、天下人のスマホ信長編(2月放送)、どうする家康(7月に本能寺回)、そして首(11月公開)。

X(旧Twitter)のbioに書くほど本能寺炎上が大好きな私だが、なぜこんなに惹かれてやまないのかといえば「信長という主と光秀という家臣がいてなんやかんやあって寺が燃える」の「なんやかんや」のあたりに各作品千差万別多種多様な巨大感情、つまりウマミ成分があるからである。例をいくつか挙げるとすれば、天下取りの野望、長年虐げられた恨みつらみの発露、こんな危険な男に天下をとらせてはいけないという責任感、太宰の「駆け込み訴え」みたいなやつ。とにかくいろいろある。

「首」もまあいろいろあった。インタビューなどを読んでも明確な答えはない。多角的な見方ができる描かれ方だったから、自分の感じたところを語る。

 

信長と光秀のクライマックスのひとつ、安土城のバルコニーでガンガン蹴られてからバックハグで琵琶湖を眺めるシーンから読み取った二人の関係性はこんな感じだ。

信長は光秀に自分を好きになってほしい。この好きは常に自分の命令に従順であってほしいという意味の好きで、たぶん愛より支配欲と呼んだ方がいいやつ。

一方の光秀は侍の契り*4があるからそんなこと言えないけど信長にはナメられたくない。盾付きすぎてもナメられても立場は危うい。

 

すれ違いを抱えたまま二人は家康の毒殺を目論む。言うなれば共同作業だ。信長の「鯛でタヌキを見事釣り上げたら光秀、俺に一晩付き合え」から始まる本能寺炎上までの一連のエピソードは、観客をめちゃくちゃ翻弄するという意味で、ラブストーリーの文脈であると強く言いたい。

  • 私たちは光秀が裏切って本能寺が燃えることを知っている。
  • でも、この作品で信長と光秀が寝るかは知らない。
  • 私たちは家康が最終的に生き残って江戸幕府を開くことを知っている。
  • そして、この作品では家康の影武者が家康の代わりに何度でも死ぬことを知っている。

つまり信長と光秀が家康の影武者を家康本人と誤認する時間が一晩でもあれば約束は果たされてしまうのだ。

 

家康がうまく切り抜け村重が光秀を焚き付けたことで、結果として約束は果たされることなく本能寺は燃えた。しかしここに至るまでの短い間に数えきれないほどの「エーッどうなっちゃうの?!」があった。ラブストーリーでなければサスペンスかもしれない。ともかく観客がガンガン揺さぶられるポイントは間違いなく「本能寺は燃えるとして、信長と光秀ってどうなっちゃうの?」だ。

それぞれと村重の関係がこの時点で一定のゴールに達している点との対比もすごい。信長と村重は謀反によって関係が破綻し、光秀と村重は多少の心配事こそあれ円満で、観客を「どうなっちゃうの?」で翻弄するには穏やかな振れ幅だ。そういうわけで、映画「首」は「信長と光秀の物語」だったと思っている。

 

これに気づいてから先述の安土城のバルコニーのシーンがタイタニックの有名なアレみたいに思えてきたので、私はあれを暴(バイオレンス)のタイタニックと呼んでいる。

これらはあくまでラブストーリーの「文脈」であって、実際のラブはないほうが「首=形ばかりで実がないないもの」という本作の主題ともマッチするなーと私は解釈しているのだが、全きラブストーリーともとらえられる描き方だったと思う。

こんな顛末なら、そりゃあ火力も強くて本能寺もあっという間に燃えるでしょうよ。

 

衣装、全部好き

「首」は衣装もグンバツに良かった。

バックボーンの掘り下げが必要最低限に削ぎ落とされている登場人物たちの人となりがそれぞれの着こなしに現れており、一癖も二癖もある彼らの魅力をグッと引き出している。

一例を挙げるなら羽柴軍。秀吉と秀長の平服は小袖が1種類、場面によって上に胴服や羽織を着ていることもある。一方、官兵衛には小袖が2種類ある。羽柴の陣の中などリラックスした場では濃い緑の小袖を、光秀を迎えたり毛利軍に使者として向かう時には明るい黄緑色の小袖にグレーの肩衣を合わせている。

自分は動かずに陣中で策を巡らす秀吉(と秀長)に対して、自ら立ち回って交渉や調整にあたる官兵衛はTPOに合わせたコーディネートを心がけているというわけだ。

こういう見方で色んな人物を見ていたら、どえらいことに気づいてしまった。

 

光秀の陣羽織は作中で2種類登場する。どちらもベースカラーは紫だが、襟の色味が異なる。登場時に着ている羽織は橙に金糸の生地、本能寺の変の前に着ているのは藍色に濃いエンジ色の生地だ。

では本能寺の変の前、登場時に着ていた橙と金糸の襟の羽織はどうなっているかというと村重が着ている。

もう一度言う。

村重が、光秀のものだった陣羽織を、着ている。

彼シャツならぬ彼陣羽織である。

信じられないかもしれないが、以下の二つの動画をそれぞれサムネイルの下に書かれたタイミングで一時停止してよくご覧頂きたい。

 

⏩️0:12あたり

 

⏩️0:25〜26あたり

 

さぞ熱っぽいやりとりがあったことだろうが、作中では一切のフォローが入らない。黙って出す情報じゃないだろこんなの。

てか、これから箱に入れて文字通り捨てる相手に自分の陣羽織着せるのどういう心境??????「首」、光秀のことが一番わかんなかった。

 

あなたにお侍のいちばん大切なものをあげるわ

光秀の心情ベースで考えるからわからないのかもしれない。村重を匿うと決めた時も、信長の手紙を読んだ時も、信長といっしょに家康毒殺を企てた時も、信長に謀反すると決めた時も「武人として」みたいなメンツやプライドだけは、一貫して保たれているからだ。

結果、同じように侍のプライドを重んじている茂助に自分のいちばん大事な「首」をくれてやることに決めて、なんか幸せそうに死んだ。

あとで顔もわからないくらいにボコボコにされて秀吉に蹴り飛ばされようが、そもそもここに至るまで全部秀吉の手の上で踊らされていようが、最後に茂助に出会えた時点で侍人生あがりなのだ。

く、狂ってやがる……

今ここで本作のコピーが効いてくるとはね…

 

現代のホモソーシャルで概ねテッペン取ってる北野監督が「でもホモソって外から見たら最悪だよね」というメッセージをのせたのがこの映画のすごいところだと思う一方で、自分の首の価値をわかってくれるであろう名も知らぬ下郎(茂助)に首をくれてやることに決めた光秀のめちゃくちゃ生き生きした顔を見ると、ホモソーシャルの恩恵を受けて生きてる人って本当に気持ちいいんだろうな…と暗澹たる気持ちになる部分も多いに、ある。何かを排除することで得られるホモソーシャル的な優越感て、自分にも絶対あるしな。

 

こういうことを考えながら、東京国際映画祭を含めて17回「首」を観た。毎回新しい発見があり、毎回斎藤利三がMVPだった。

常にスケジュール調整にベストを尽くしてきたが、心残りもそこそこある。IMAX上映には1回しか行けなかったし、グランドシネマサンシャイン池袋の最上階のIMAXでも観てみたかった。新宿ピカデリーのプラチナシートを予約して、鑑賞前にラウンジでくつろぐ体験もし損ねた。まあでも、どんな豪勢な設備よりも自分の人生がこの映画の滋味をめちゃくちゃ深く、濃くしてくれていると思う。

20年好きだった荒木村重という人をカンヌに引っ張り出してくれてありがとう。キャンペーンで金のムビチケ当選させてくれてありがとう。

人生の節目の年に「首」があってよかった。改めて心からそう思う。

*1:2019年刊行。映画とけっこう違うけどお話の軸は一緒なので興味のある方は味変を楽しんでほしい。電書がないのがネック(首だけに)。

*2:好みっていうか、相手の求愛アピールをそのまま真似ているのだが、それでちゃんと歓心を買えてるところも含めて監督の采配は鳥肌ものだ

*3:「はい」を選ぶと村重に、「いいえ」を選ぶと弥助になる

*4:本能寺直前に口にする「村重一筋」がこれにあたるが、あくまで建前で信長に屈することに武人としてのプライドが耐えられない方が理由として強いと思う