毎年、海の日の頃になると落ち着かなくなる。夏コミの〆切が近いからだ。
SNSで同じイベントに参加する同人作家たちのがんばりをブースターにして、「日照時間が長いから大丈夫」などと根拠のない謎理論を振りかざしながら睡眠時間を削って漫画を描いていた。
だが今は違う(ギュッ)
毎日最高気温36℃を超える酷暑に加え、オタクを取り巻く環境も大きく変わった。
今の自分に、夏のイベントを乗り切る体力・気力があるとは到底思えない。
そんなまんじりともしない気持ちを抱えつつもそこそこ楽しい8月を、ここ数年は過ごしてきたつもりだったのだが…
今年、びっくりするくらい何もできなかった。
何が怖いって、この状況にさほど危機感を抱いていない自分が怖い。もう少し焦るとかしてほしい。
体調、天候、メンタル面、いろいろな要素が重なった結果だと思うが、あまりにも「何もなかった」というガッカリ感をぬぐえないので、せめて「できたこと」を書き留めておこうと思う。
友達の家いった(×2回)
定期的に自宅を開放してごはん会をしてくれる友達の家にお邪魔して夏のおいしいものを食べてきた。
1回目はオタクのコミュニティ。2回目は全然オタクではないコミュニティ。距離感はちがえど、どちらとも6〜7年くらいの付き合いだ。
オタクのコミュニティの方は、参加者がみな自ジャンルに対して凪の状態なので相当チルな時間だった。
布教や萌え語りがあるでもなく、鬼滅のドンジャラで遊んだり温泉宿の紹介番組を観たりダラダラ過ごした。まさしく、大人の夏休み。
オタクでないコミュニティの方は、サッカーファン2人の遠征の話や地方スタジアム事情の熱い語りの聞き役だった。人生の10年先輩にあたる人たちがいろいろ抱えつつも元気にこういう話をしている様にはかなり元気づけられる。
夜の散歩
歩数計測ゲームアプリのおかげで歩く習慣がついた。信長の野望・出陣には感謝しかない。1周年おめでとうございます。
6月上旬くらいまでは、土曜日はモーニングを食べがてら朝から歩いて昼頃に帰宅か別の予定、という習慣にしていたのだが、暑さが厳しくなってからは日中歩くのを避けるようになっていた。いのちだいじに。
連休中あまりにも外出しなかったので、夜に買い出しに行く日を作ってみた。案外楽しかった。
あえてふだん行かないスーパーまで行って、初めて出会う商品を片っ端からカゴに入れてたらエコバッグがぱんぱんになったことだけは誤算。
『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』みた
付き合いの長いオタクのお友達から「推し作品なので観てください!」と関連書籍他が宅配便で送られてきたので、U-NEXTの配信で未知のジャンルに触れた。
簡単に説明すると、台湾の布袋劇という伝統芸能を現代風にアレンジした人形劇に、特撮効果をモリモリした伝奇もののテレビ人形劇だ。テレビシリーズ3作と劇場版、ほかにもメディアミックスがいくつかある。
登場人物の大半が多様な飾りに彩られたロングヘアに美しい顔(かんばせ)、豪勢な刺繍が施された衣装をまとっている。
さぞ耽美な物語が展開されると思いきや、アクションシーンの迫力がすごくてその温度差にひっくり返った。
主題歌がT.M.Revolutionとは聞いていたが、1話に1回は土埃が舞い、矢の雨が降り、剣戟が響き渡るほどアクティブな作品だとは、公式サイトを見たときは少しも想像できなかった。
人形劇特有のもったりした動きとアクションの相性は悪いような気がするが、カット割りの細かさと特撮効果のおかげで視聴者の視線を引き付けて離さない映像のスピード感は自宅の回線でも処理落ちするほどだ。
こんな生き生きとしたアクションをはさみつつ、虚淵玄の脚本にオタクならみんな知ってる豪華声優陣が声を当てているのだから作品としての安定感が半端ない。
プロジェクト成立の経緯や作り方含めて面白いのに、日本ではあまり知られていないようだ。友達の推しのねんどろが出たら私も嬉しいので、まずは作品の知名度爆上がりしてほしい。
10月から4期が始まるので、それまでに3期を観ておきたいなー。
9/4追記:3期まで観ました!
サンファン3期まで観たので特にお気に入りのふたりを描きました!!フィクションだと執着強めの厄介人間に魅力感じがち。 https://t.co/uhVAs6yj1m pic.twitter.com/Xm2H77VM5V
— 市川芯子 (@sinko_ickw) 2024年9月1日
テニミュ行った
5年くらい前までは、いつも同じ友達と「通う」のが当たり前だった。
協力してチケットとって、楽しく観劇して、居酒屋で会話になっていない感想戦を繰り広げて「じゃ、また明日ね」って別れるのが好きだった。
でもこのところ一人で観劇することが増えてきて気づいた。この「当たり前」がテニミュの楽しさの4割くらいを占めていたってことに。
「いろいろあるね、生きるって」とSeason*1でも歌われているが、いい年の人間が3人いたら環境の変化、心持ちの変化、いろいろあるだろう。
通うというほどの回数ではなくなっても私がテニミュを観続けているのは、好きなキャラクターや試合が今回はどんな風に翻案されるのか知りたいという気持ちに背中を押されているからだ。
ベースとなる史実にエンタメ味を付けてお出しされるという意味では、歴史好きな人が大河ドラマを楽しみにする感覚と似てる気がする。
思い入れが深すぎて前置きが長くなってしまったが、この夏も一人でテニミュに行った。
1曲目の「テニミュだぞ!!」といういい意味で模範解答的な、なじみ深くアクティブで華やかな掴みで引き込まれてから、試合への思い入れもあってずっと泣いていた1幕。2幕は適度なトンチキ演出もありつつ決めるところはバシッと決めてくれて、久しぶりに私の知っているテニミュを観た〜という充実感でいっぱいになった。
一人で行ってこんなに満足して帰ってきたのはこれが初めてだったので、本当にうれしい。
書き出してみると思ったよりいろいろやってるな…
今まで同人活動を生活と人生の軸にしてたから、いくつかあるうちの趣味のペースを落としてるだけなのに人生規模で何もできてないと思っちゃってる気がする。
考え方が極端すぎる。
同人活動を軸にしてた頃って、こうして夏にやったことを書き出したときに項目が「原稿」「イベント」しかなかったかもしれない。
もしかして、ランナーズハイ的な気持ちよさだけを人生の充実感だと思ってたのか?私?????
まあ気持ちいいですけどね、体にはよくないし、元気があってこそできることだから。ねっ。
最後に、そもそもなんで私がずっと元気がなかったのかについて書きたい。
夏だけ元気がなかったかというと、正直年明けくらいからずっと元気がなかった。
私がポットだとしたら、湯沸かしの機能が使えなくなって保温だけになっちゃったみたいな感じだ。
これまでに何度か記事を書いた映画「首」で、私の今までのオタク人生がおおむね肯定されちゃったというか、がむしゃらにやってきたことに意味があったよ!ということになってしまった。
正直まだ夢みたいだし、現実だとしたら「なんだこの人生!!!??」とも思う。何かの節目にもらう豪華な花束みたいな作品だった。喜んでいる部分は大いにある。
しかしこれに身をゆだねると、自分の中で「意味や見返りがないことは無駄」ってことになりはしないか。私の同人活動の原動力の9割くらいがこれだったのに。
ぶっちゃけ、オタクや同人活動が「見つかって」しまった令和の世で、この先私が創作をするにあたって大事にすべきなのは「意味や見返りがなくてもやる」方のモチベーションだと思っている。(あくまで私にとっての話で、人それぞれ原動力は異なると思う)
「見つかった」というのは、オタクが10年くらい前までは想像もしなかった異なる属性の人々に注目されるようになったということだ。
ソシャゲにしろアニメにしろ大きな駅でアニメ絵を見ない日はないし、100均には推し活グッズがあふれている。成人向けの作品も多く扱う同人誌委託業者でいくつかのクレジットカードが使えなくなったことも記憶に新しい。
こういう世の中になった以上、オタクとして「善くあろう」とするのは悪いことではないと思う。私にもそういう気持ちがないわけではない。
でも「善い」の定義ってなんだ?「見返りや意味がなくてもやる」をはじめ、私が今まで大切にしてきたものは「善い」に含まれるのか?そうでないものをやっていいラインてどのあたり?
そもそも「善い」を簡単に定義したくないけど、そうしないと落とし所がわからない。今もずっとわからないままでいる。
人生って物語じゃないから、そんなに簡単に辻褄合わないと思うんですけど、それでも自分と違う属性の人に安心してもらうにはわかりやすく説明できたほうがよくて…うーん。
この問いを言語化できただけでも進歩があったほうで、春先なんか何をするにしても優先順位をつけられず、身動きが取れないまま気づいたら夏が終わりかけている。結果的に振り返ると今年ずっと元気ないな〜という感じだ。
こういう自分のままならなさにそこそこ前向きな折り合いを付けたり、直したいと思う部分は直せるうちに直すなどして、この先の人生のしんどさを少しでも軽くしたい。
もしくはしんどくてもやっていく覚悟をしたい。どっちも必要だと思う。
お盆前に比べると涼しくはなってきたし、少しずつでもやっていくしかないよね。
がんばって生きててえらいホトトギスだからね。









